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みなてらすボランティアの言葉「夢と希望」

みなてらすボランティアの言葉「夢と希望」
みなてらすの日常
みなてらすボランティアの言葉「夢と希望」

今回は、普段ボランティアとして活動されている方が、「夢と希望」という題名でお言葉を寄せてくださいました。特別編として、ご紹介いたします。

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【夢と希望】

大人はよく子供に「夢や希望を持ちなさい」と言う。それは人生に於いて大事なことだ。しかし夢や希望が持てる社会にするのは大人の責任でもある。

果たして私たちはその責任を果たしているのだろうか?夢や希望が持てる社会とはどういうものだろうか?私なりに無い知恵を絞って見た。

私は平等と言う言葉があまり好きでは無い。平等を徹底的に追求すると自由が束縛されて息苦しい社会になる。とは言え、民主主義社会で必要とされる平等もある。

一つは機会均等、チャンスは全ての人に平等に訪れなければならない。もう一つは法の前の平等、社会的地位や名声に関わらず、その人の行いや発言には平等に法的責任が伴う。

この二つは民主主義に於いては絶対的なものだろう。

それ以外に社会の発展に必要なものとして、「努力すれば報われる」という社会、「失敗しても敗者復活のチャンスがある」社会。しかし現実にこれらが理想的に行われているのだろうか、少し疑問符が付く。

人生は運次第と言う人がいる。硬直化した社会の現実を見ると一理ある。

その人の持って生まれた才能や環境は運で決まり、その人の人生に大きく影響する。「私には才能が無いから」とか、「環境に恵まれていない」ことを理由に別の生き方を探すのも一つの方法かも知れない。

90年代にアメリカでは、「カウチポテト」という言葉が流行った。努力もしないで、1日中ソファに寝そべってポテトチップスをかじりながらテレビを見ている人間を揶揄する言葉だ。同時にエスタブリッシュメントが固定化した社会を作り、普通に努力をしても報われない社会と言う現実も反映している。

ところが皮肉なことに90年代は「カウチポテト」と言う言葉が流行った反面、アメリカではIT産業が急速に発展し、「GAFA」などという、新たな経済富裕層も作った。

「塞翁が馬」という、中国の故事がある。人生の幸不幸は予測できず、何が吉で何が凶となるか後になってみないと分からないため、目先の出来事に一喜一憂すべきではないという意味だ。

逆に「運も実力のうち」という言い方もある。成功や結果が出るのは偶然の幸運だけでなく、運を引き寄せたり、巡ってきたチャンスを確実に掴み取ったりする力も本人の実力のうちという意味だ。

おそらく両方とも真実だろう。

どうすれば子供たちが夢や希望が持てる社会に出来るかという問題に戻るが、前者と後者を組み合わせて、『一時的な結果に一喜一憂しないで、運を引き寄せる努力をし、チャンスをものにする努力をした人間は報いられる社会』というのはどうだろう?

子供たちの将来に大きな影響を与える社会環境を作るのは、我々大人の責任だ。努力が報われない社会は長続きしない。何らかの形で努力が報われるようにしたい。

しかし、どんなに努力しても上手くいかないときがある。しかも日本は失敗した人間には冷たい。果敢に挑戦して努力したという、行動力とチャレンジ精神はもっと高く評価されても良いのではないだろうか?そういった人には再チャレンジのチャンスが与えられる社会にしたいものだ。

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